乃木坂46小説『サヨナラの意味』-橋本奈々未さんへ愛をこめて。
棘
帝都から離れた、北の小さな地方によく雨の降る里山の町があった。
町には一つの言い伝えがあった。
棘人は咎人だ。
棘とは罪の証。
その棘に触れると命を失う。
一章 トゲジン
大きな川の流れる小さな町、一つの暗い屋敷に来月行われる式典のために三人の女子高生が呼ばれた。式典の名前は棘刀式。
川の向こう側の大きなお屋敷の客間に通された三人は、思い思いに鞄からものを出し時間をつぶし始めた。
「七瀬が男役とはね。」生田はポツリとつぶやき、切り絵をしている。西野は青い文庫本を読みながら少しため息をつく。川の流れが強く聞こえる。
複雑に折りたたまれた紙から図形を切り抜くと美しい文様ができていく。それを見ていた高山は「私が今年は選ばれると思ったのにな。」と呑気な声で返す。二人は少し笑い、首を振って否定した。西野も本を置き、生田の切り絵を見ていると、本の題名を見て、高山は言う。「トゲジン」
「し・じ・ん」
生田と西野は同時に指摘する。
その時、ふと隣の部屋から物音がした。ヒュっと静かになる。高山が襖に手をかける。襖をゆっくりと開くと、美しい女性が窓際で赤い本を読んでいる。風が通り、こちらを女性が振り向いた。そして少しきつい目でにらむ。
反射的に襖を閉じ、驚きの声を各々があげる。
「私、初めて見た。あれが…」
そして、女性の脛にうっすら浮かぶ棘を思い出し、こう続ける。
「棘人。」
二章 ホッキョクチョウ
その昔、棘人は人里で暮らし、棘人ではなく隣人と呼ばれていた。
よきとなりびと、よきとげびと。
帝都から遠く離れたこの里では、美しく長生きな隣人は里の神様として祀られていた。知識を持ち、人よりも強い力を持ち、天候を占い、豊作をもたらした。ハレの日は共に謡い、ケの日は共に學んだ。攻め来る者とは共に闘い、止まぬ災害には隣人が贄となった。
しかし、帝国の一部のこの里山には、多くの鉱物が埋まっていた。獣を殺し、森を伐り、山を掘る。帝国は徐々にこの里山を切り拓いた。里山の人は長を始めとして、強く反対した。暴力も辞さない、そう言い切って。
里山の人の努力むなしく、山は徐々に失われ始めた。ある夜、里山の大きな屋敷で武装蜂起を決めた里長は、隣人に協力を頼んだ。二つ返事で快諾した隣人の長は、隣人が前線で戦うことを約束した。
隣長は言う。「誓いましょう。私は私の愛しき隣人と里をお守りします。」里長は返す。「私は誓います。この里と私の愛しき隣人を守ると。」握り手を交わして。
翌朝になって、戦が始まり、隣人は里の山を守りながら前線で戦った。怒りと共に発現する棘を纏って。夜になって里の屋敷に戻り隣人の長は気付いてしまった。この作戦はすでに失敗していたことに。
暁の頃には、里の長も戦える里の民も皆殺しにされていたのだ。鋭利な傷跡を伴うその身体は、まるで棘で貫かれたようだった。里長が小さな部屋の鍵をその胸に抱えていたことに、隣長はすぐには気付かなかった。
里の長、男衆を殺された里山の者は、隣人を疑った。嬲り、罵り、磔にした。怒りの感情と共にしか浮かばないそれを、侮蔑するかのように「棘人」と呼んで一人一人殺していった。
隣長は何人かになってしまった棘人を残して、自ら志願し棘刀式を行った。人間への服従と謝罪を込めて。
帝都による里山開拓は進んだ。鉄道が開通し、里山に一気に帝都民が流れ込んだ。
そして、この里山は、北の日の昇る町として、帝より町の名を授かった。「北旭町」として。
三章 しじんとねこ
屋敷の奥座敷に通された西野はそこに、先ほどの女性と棘人の長が座っていることに気づいた。
「これから、西野さんと奈々未にやってもらう儀式は、かつてこの村で争っていた棘人と人が共に生きていくと誓ったその契りを忘れぬ儀式です。」
淡々と、棘人の長は語る。
「では、握り手を。」
手を差し出す、棘人・奈々未の手を見て、西野は一瞬硬直した。その硬直が恐怖であることを悟った奈々未は、ふとその場を立ち、廊下を飛び出してしまう。
妹の飛鳥が小さな声で、姉を呼び追いかけるのが聞こえる。
棘刀式とは、文字通りヒト側の男役が、棘人の女役の棘を断ち切ることで断罪を示す、服従の儀式である。女性のみが持つ棘の核を切り落とし、一生涯その棘を発現させなくする。これで、ヒトとして生きることができる儀式。そのために一月の期間を与えられ、稽古を行う。
棘人の長は、非礼を謝罪し今日のところは帰っていただきたい、と語った。西野は固まったまま、動けなかった。ただ茫然と、目の前の女性の残像を思い出していた。そして、気付いてしまった。自分が怯えていた以上に相手が怯えていたことに。
外では、生田と高山がクラスメイトと合流して町に戻る途中だった。屋敷から覗き手を振る美しい女性たちを横目に見て、リーダー格の桜井が、あれは誰だと生田に聞く。
「あー、あのー人たちだよ」「あー…」
川を渡り、無事に町に戻ったのは夕方六時過ぎのことだった。
--
棘刀式の練習が始まったのは翌日からだった。ダミーの刀を用いて、奈々未の棘に当てる。その様子を、西野の後輩の新聞部の堀と星野はカメラに収めていた。咄嗟に、奈々未の妹の飛鳥が止めに入る。棘人を晒す行為に怒った飛鳥が我を忘れ、カメラを奪おうとする。
西野が間を取り持つように割り込んだ時、赤く手が染まった。
飛鳥の棘が西野の右手を切っていた。飛鳥は我に戻り、棘を戻す。棘人の長は少し遠い目をして、休憩にしましょう、と呟いた。
休憩していると、いつもの如く雨が降り始めた。木陰で雨宿りをしながら、やはり西野はあの青い本を読んで落ち着かせていた。開いていたページの間に、絆創膏が落とされる。奈々未が無言で踵を返し、歩いていくのを西野は呼びかけた。
「ありがとう!」
いつになく大きな声で叫んでしまったのを、少し気にしながら続ける。
「貴女が読んでいた本の題名知ってる。『シジントネコ』。そうでしょう。」
そして、西野は自分の本を差し出して言う。『棘人と猫』
「良かったら読ませてくれませんか。交換っこしましょう。」
奈々未が赤い本を懐から取り出す。二冊の本は持ち主の手を離れ、相手方に渡された。
--
少し日が過ぎて、今日もあいにくの雨だったが、西野は川の横のお茶屋で生田と高山とのんびりと休日を楽しんでいた。赤い本を読み進めていくと、途中のページに栞が挟まっていることに気づいた。いや、実際には栞ではなく切符だった。行先は帝都行。西野も幼いころに一度行ったきりだった。
帝都は選ばれた人間のみがいける場所だった。西野の家族は里長の代表家系の一つとして帝に挨拶に行ったのだった。帝都は美しく、華やかで、何より建物が高かった。自由を謳う国家の象徴で、あらゆる人が生きているように見えた。溢れるほどの人に押し流されながら、さらに外の世界と結ばれていた。
しかしながら、あらゆる人というのはあらゆる地域から選ばれた人というだけであった。
当然、選ばれるはずもない棘人に行く資格などあるわけもなかった。
そんなことを考えていると、橋を渡って奈々未が町と反対方向、上流のほうに向かっていくのが見えた。奈々未は速く速く走っていく。
西野が追いかけるが、なかなか追いつけない。西野が草むらをかき分け、やっと奈々未を見つけた。奈々未が立っていたのは、帝都行の鉄道が見える湖の中之島だった。
雨の中、棘を露わにしながら叫び続ける一人の女性の姿に、西野は畏怖を覚えた。怖いけれど、美しい。近寄りたくないけど、会いたかった。見たこともないのに、懐かしい。
強烈に揺さぶられた感情が西野に一つの決心をさせた。
四章 棘刀式
青い男性和服に身を包んだ西野が両脇に生田、高山を従えながら夕刻を待つ。一方、奈々未は壇の上で既に棘人の衣装を纏い、一匹の蝸牛と棘の木が描かれる屏風の前に立つ。太鼓と笛が執り行われる儀式の前触れを伝えていた。
町の人間が棘刀式を見るために、ぞろぞろと集まりだす。
雨の降らない夜が来た。火を焚き、西野が壇上に上がる。生田の作った文様切り絵の面を被り、奇怪な動きと共に棘人が腕を捧げる。棘人たちは見世物のように、美しく、赤い血の衣装を纏い、舞い続ける。
奈々未が、首をかしげる動きを数回した後、西野が刀を振り上げる。
刀を振り下ろすその瞬間。
カラン
小さな音を立てて、小刀を地面に落とす。奈々未の面を取り、西野は手を取って走り出した。あの時つかめなかった手を、しっかりとつかんで。追いかけるように生田と高山も棘人たちの手を引き、走り始める。
棘人が握り手を求めてくるのは、手の平には棘が生えないから。包む手の平の温かさを伝えたいから。傷つけない意志の表明だから。いつか誓った人間との約束の証だから。
手を握り、西野は走り続ける。
困惑した棘の長は、怒鳴ることもできずただ逃げ去る娘を笑って見送るしかなかった。
遠く、鉄道の見える草原で松明をもってじゃれるように青い和服と赤い民族衣装は踊る。見ていた町人も踊り始め、宴が始まる。
夜明けまで、鳴りやまない太鼓が町の朝を告げた。
スピンオフ 帝都ユキ
棘長、大五郎はこの里の歴史を知っていた。屋敷の中に小さな地下室を発見し、その鍵を壊して入ってしまったから。棘人が「棘人」になった理由も、その、真犯人も。
だから、帝都ユキの切符を買った。帝に伝えるために。赦されざる、開拓者たちの蛮行を。そして、隣人たちとの契りを。
ただ、踏み出すことができなかった。先祖の愛した隣人はもう、川の向こうにはいなかったから。学校でも虐めに遭い、友人もできず、一人大きな暗い屋敷に帰っていた。先祖が行ってきた日々の祈祷を、愛してもくれない人のために捧げ続けてきた。狂うほどに、棘が出ないように、平然と、心を閉ざして。
娘には、自分のように苦しい思いをさせたくなかった。棘刀式を経て、ただの女性に戻る資格を得られればあの町で生きられる。早いうちから、娘を棘刀式に出すことに決めていた大五郎はあらかじめ里長にそのことを伝えていた。
だから、奈々未は露骨な虐めに遭わずに済んだ。
ただ、棘人からも、人からも、一歩距離を置かれていた。
--
鉄道が今日も走っている。
西野は鉄道の音を聞きながら、奥座敷に向かう。
「奈々未?」
そこに彼女の姿はなかった。
西野はふと、笑った。
ほっきょくちょう
帝都から離れた、北の小さな地方によく雨の降る里山の町があった。
町には一つの言い伝えがあった。
棘人は隣人だ。棘とは約束の証。その棘に守られて我々は生きている。
町の名は北棘町。
-------------------------------------------------------------------------------------------------------------------◢
『サヨナラの意味』柳沢翔 監督 / 曲: 作詞 秋元康・作曲 杉山勝彦
出演: 乃木坂46 橋本奈々未、白石麻衣、西野七瀬、齋藤飛鳥、生田絵梨花、高山一実、堀未央奈、衛藤美彩、松村沙友里、秋元真夏、若月佑美、生駒里奈、桜井玲香、星野みなみ、新内眞衣、北野日奈子、井上小百合、伊藤万理華、中元日芽香
橋本奈々未の卒業シングルの『サヨナラの意味』pvの中に多数の隠し要素がありすぎて、どこから手を付けてよいかわからなくなるほどでした。旭川に生まれた彼女のファースト写真集は『優しい棘』。棘はキョクとも読むことができ、旭のキョクと掛けて今回の小説では使っています。雨の降る場面を中心とするpvはアメフラシの蝸牛(まいまい=深川麻衣)が心のどこかに潜んでいるのかな、なんて少し遊んでみました。
『棘人と猫』の中身には、pv中に一瞬映り込むカット一つ一つでドキッとさせられる場面があります。御三家は永遠です。
赤と青の意味合い、アイヌ文様の意味も含めてもっと深堀り出来たらよかったな…と思いつつ(自分も北海道出身ですので…)、このシングルのアンダーセンター(欠けた場所を埋めるという意味でのアンダー)の齋藤飛鳥にフォーカスしてもっと書きたいと思いました。
箱推しの私が、唯一推していた、橋本奈々未さんへ 愛を込めて。